コラム記事

中華系マレーシア人の文化とは~言語・宗教・食について

イスラム教を国教としマレー系マレーシア人の割合が最も多いマレーシアですが、その一方で大きな存在感を見せているのが、中華系マレーシア人です。

初めてマレーシアを訪問された方でも、イスラムやマレー系の風景の中に中華系の気配の濃さを感じられた方は少なくないでしょう。大都市部はもちろんのこと地方の小都市にも大なり小なりチャイナタウンは必ず点在しています。

今回の記事ではその中華系マレーシア人に着目。マレーシアで中華系はどのような文化を形成しているのか、解説します。

※当サイトでは各民族の呼称について日本国外務省が発表しているマレーシア基礎データの表記に基づき、マレー系マレーシア人を筆頭に中華系、インド系という呼称を使用しています。しかしながら今回の記事ではその歴史やルーツについて解説も行うため、以降は華人、マレー人の表記にて統一をしています。

「華僑」ではない、マレーシアの「華人」とは

古くは明代、近代では19世紀後半から20世紀前半にかけて多くの華僑が海を越えてマレーシアに渡りました。中国大陸に帰ることなく世代を重ねた結果、彼らは異邦人を意味する「華僑」ではなくなり、マラヤ連邦・マレーシアの「華人」となりました。

世界には多くの華僑達が移民として異国に居を移しコミュニティを築いていますが、マレーシアの華人達は近隣諸国と少し違う道を歩んでいます。

例えばインドネシアでは、漢字使用が禁止されて漢字名を名乗れず華人としてのアイデンティティを表明できない受難の時代がありました。

一方タイではタイ人との混血と土着化が早くから進み、ルーツは中国大陸にありながらも先祖がどの省出身かは分からない、中国語は読み書きできない、信仰はタイ仏教という中華系タイ人が多数派を占めています。

ところがマレーシアでは、マラッカ王国時代に中国大陸から移り住んだ彼らとマレー人との混血により「プラナカン」という文化集団が生まれたものの、近代の移民は他民族とさほど融合することはありませんでした。中国大陸から持ち込んだ文化を代々ごく自然に守りながら暮らすと同時に、重ねた世代や時代に合わせカスタマイズし続けているという興味深い特徴があります。

言語

中国大陸から一緒に連れてきたものの筆頭は言語です。一口にマレーシア華人と言っても出身の省はそれぞれが異なり、渡来の時期や背景の違い、同郷・同族者のつながりの強さから同じ地方の出身者で一カ所に固まる傾向がありました。時代が変わってもその傾向は受け継がれ、人の交流が進んだ今でもマレーシアの中国語方言集団地図を描くことができます。

中国各方言集団の地図

マレーシア華人のルーツは、多くが中国大陸南部の省。そのため、話す言語はいわゆるマンダリンと呼ばれる普通話とはだいぶ異なります。

例えば、日本だと青椒肉絲や回鍋肉の「ロー」読みでおなじみの「肉」の字は、マレーシアでは肉骨茶(バクテー)・肉干(バックワ)などの「バッ」という福建語の発音で出会うことが多く、そして人々の間に浸透しています。

クアラルンプールとその周辺には広東語話者が多く暮らし、それぞれ北はペナン、南はマラッカと離れるにつれ福建語・閩南語話者が優勢に。

一方ボルネオ島では客家人が多数派です。18世紀から19世紀にかけてボルネオ島のマレーシア・インドネシア領に渡る全域には、客家人による蘭芳共和国という自治民主政府が台頭した時代もありました。また、サラワク州のシブは福建州の福州人が多い町として知られています。

華人の共通言語としての普通話はもちろんのこと、両親が違う方言集団の出だと子供は父母それぞれの言葉を覚えるそうですから、さらに英語・マレー語も操るとなると、日本人からはなかなか想像のつかない言語環境となるでしょう。

マングリッシュ

シンガポールでは他言語の要素を取り込んだ英語「シングリッシュ/Singlish」が有名ですが、マレーシアにも「マングリッシュ/Manglish」があります。全民族の共通語である英語に、それぞれの民族の言語の文法や単語が入り混じりあった独自の進化を遂げている英語、と言ったところでしょうか。

文法の代表的なものでは、マレー語も中国語も動詞には過去形がないため英語からも動詞の過去形が失われてしまうというもの。三単現の「-s」も抜け落ちがちです。疑問文も主語動詞を入れ替えず、語尾を上げれば疑問型が成立です。これは正直英語初心者にとっては言語の上達うんぬんはさておき、ありがたいことでもあります。

また有名どころでいえば、語尾・文末の「ラー/lah」。中国語の「了」や「啦」から来ていると言われ、英語にもマレー語にも頻出します。

単語では、特に福建語由来の単語が英語との親和性が良いようです。ただ、日常でよく使う身近な単語よりはスラングとしてカジュアルに使う単語が多く、英語ではニュアンスが物足りないのか、意外な表現が借用されます。例えば、「なんで呼んでくれなかったんだ!」という意味の「bo jio(無招)!」は一時期ネットミーム頻出語でした。

宗教

言語と同じく宗教も、移民と共に海を渡ってきました。華人移民は道教や仏教を、インド系移民はヒンドゥー教をマレー半島に持ち込んだ歴史があります。

中国大陸由来の道教・仏教

マレーシアでは華人の住むエリアならどこでも、大小さまざまな廟に出会えます。漢民族に絶大な人気を誇る関羽を祀る関帝廟はもちろん、半島・島嶼の国に似合う海の女神である媽祖もよく出会える人気の神様で、クアラルンプールにある巨大な天后宮は有名です。

観音菩薩も方々で祀られています。有名どころではペナン島ジョージタウンにある観音亭で、一日中線香の煙が絶えません。

太伯公・福徳正神(土地公)も中国南部で信仰される神様ですが、ここマレーシアの都市の真ん中には必ずと言って良いほどどちらの廟も見つかります。

路地を歩いていると、店先・軒先に掲げられた「天官賜福」の神棚、そしてお店や居間の片隅に祀られた土地公の小さな祠に気づくでしょう。線香やパイナップルがお供えされ、暮らしの中の信仰が見られます。どちらも中国南部の風習ですが、それが今日のマレーシアでも人々の暮らしの中に息づいています。

マレーシアならではの華人信仰

路地のあちこちに見られる道教の祠や神棚ですが、よく見ると中にいる神様が黄色の衣装をまとっている場合があります。これは拿督公(Na Tuk KongもしくはNa Du Gong)といい、マレーシアやシンガポール、インドネシアの一部で見られる神様です。

拿督はおじいさんという意味のマレー語datuk(dato)から来ており、マレー人の土着信仰の神様Datuk Keramatと道教信仰が融合したものです。Datuk Keramatが黄色の祠だったことに由来し、祠や衣装が黄色の拿督公祠も多く見られるという興味深い事象がここマレーシアでは見られるのです。

また、多くの祠には「拿督公」と漢字で記されているにも関わらず、そのおじいさん姿の神様はマレー人の民族衣装を着用。ムスリム男性が正装時や礼拝の際に被る帽子ソンコッを頭に載せているという、実にマレーシアらしい文化融合が垣間見える民間信仰の神様です。

年中行事

マレーシア華人達は人生の通過儀礼を中華式に行い、年中行事も中華系の習慣に従い行っています。

春節を盛大に祝って年が明けると、15日後の元宵節で湯圓を食べながら春節を締め括ります。春の清明節にはお墓参り、端午節には粽を食べますが、この粽は福建由来の「肉粽」で読み方はBak Chang(バッチャン)です。先述した肉を「バッ」と読むスタイルがここでも登場です。そして、秋の中秋節には日本のお歳暮のように個人や企業同士でも月餅を贈り合います。

町内の神様の廟ではその神様にちなんだ行事やお祭りが行われます。このように、大きな行事は東南アジアでも生き生きと受け継がれているのです。

また、時と数字を重ね合わせた行事が多いことも華人文化の特徴。九皇大帝という神様を信仰する人々は、旧暦9月に9日間の菜食期間を過ごします。この期間は「九皇大帝」と描かれた黄色い三角の旗を廟の辺りで多く見られることでしょう。「齋」「素食」と表示されたベジタリアンの屋台も出ます。

そして旧暦7月は英語ではハングリーゴースト(鬼月)と呼ばれる死者の供養の季節です。ルーツは日本のお盆と同じで、さまよえる死者の魂のために食べ物が街角や道端に供えられ、道端に線香を立てたり紙銭を燃やしたりします。この時期は海や川に近づいてはいけない、夜に口笛を吹いてはいけないなどの戒めがあります。

食文化

中国大陸から舶来し、華人の民族象徴ともなる大きな文化。言語、宗教と来たら最後はやはり食文化でしょう。マレーシアでは移民とともに渡った姿のままの中華料理があるのはもちろんですが、今回は中国大陸の料理にルーツを持ち大枠では中華料理の体ではありながら、マレーシア風に進化を遂げた代表的なメニューをいくつかご紹介します。

ホッケンミー/福建麺

福建省から渡ってきたかのような名前の麺料理「福建麺」ですが、実は福建省には東南アジアでみられる福建麺そのものはないそうです。この福建麺は地域によってその見た目は大きく異なり、クアラルンプール周辺ではダークソイソースで炒められた黒い福建炒麵、そして主にペナン辺りではエビ出汁の効いたスープ麺の福建蝦麵が一般的です。福建省やその周辺で食べられるローミー/卤面という庶民的な麺料理がベースになっていると言われています。

チキンライス/海南鶏飯

今は日本でも認知されている人気料理ですが、こちらもまた中国の海南島発祥のような呼び名でありながらその海南島には存在しません。文昌鶏という海南省名物の鶏料理がルーツとなる、海南島出身の人々により東南アジアで生まれた料理なのです。蒸し鶏(もしくは揚げ鳥)とライスのワンプレートスタイルはその後、マレー料理のナシ・アヤム(Nasi Ayam)、タイのカオマンガイ(Khao Man Kai)に派生したとも言われています。

バクテー/肉骨茶

「マレーシア生まれの中華料理」の代名詞、バクテー/肉骨茶。今では逆輸入されて台湾のスーパーでも肉骨茶の素が売られています。読み方は先述の通り福建語。

漢方薬系の香りと中国醤油のスープは甘い辛いなどの極端さがなく日本人にも親しみやすい料理です。起源は諸説ありますが、福建省から来た労働者階級者の間で食肉解体時に出た骨の部分を煮込んだものが発祥、港町クランの港湾労働者の間で広まったもの、という説が有力です。

近年では汁なしのドライバクテーなるものも人気だったり、イスラム教徒が多いマレーシアらしく鶏肉を使ったチクテー/鶏骨茶が見られるようになっています。肉骨茶は供される前に茶器や箸を自分で湯煎し中国茶をいただくという定番の「作法」があり、これもまた楽しみの一つです。

まとめ

今回の記事では、マレーシアに展開する独特なマレーシア華人の文化についてご紹介しました。

移民が持ち込んだ文化は、故郷から遠いところで独自の進化を遂げる場合があります。中国や香港、台湾などの中華文化圏と深い交流がある方も、マレーシアに展開する華人世界の独特さには驚かれることが多いようです。

数や割合だけで見るとインドネシアやタイにも多い華人ですが、数の上でマイノリティな立場ながら華人文化をここまで広範囲に守り続けているマレーシアの例は世界でも珍しいケースと言えるでしょう。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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